2.破片 -2- [虹色の花、緋色の草]
むすりとした表情で、レフィアは粗末な寝台の上に膝を抱えて座り込んでいた。
彼女が放り込まれたこの部屋には、窓がない。したがって、暇つぶしに遠くを眺める事も出来ない。弱々しいランプに照らされて浮かび上がる陰気な部屋の様子など、眺めていても憂鬱になるだけだ。
「せめて本でもあったらな」
未だ、己の立場に対する自覚が乏しい彼女は、呑気にそう呟いた。
ここにきて、どのくらいの時間が経過したのだろう。そう思いながらあくびをかみ殺す。
その時、軽く扉がノックされた。勿論、それは形式的なものに過ぎず、返事をする前に扉は開け放たれている。レフィアは眉間にシワを寄せて、部屋に入ってきた青年を睨み付けた。
「もし、わたしが着替え中だったら、どうするのよ」
「んー。そうだな、心の中でこりゃいいやって思いながら口ではわりぃって謝るかな」
冗談とも本気ともつかない口調で、青年はそう答える。
「最っ低」
声を低くして吐き捨てると、彼は悪びれずに笑みを浮かべた。
「あんた、何か、巫女っぽくないなぁ」
「仕方ないでしょ? わたしは五年前まで貧民街の更に路地裏で生活していたんだから。他の子達みたいに、楚々となんかしていられない。儀式の時とかは、そりゃ、必死で繕うけどね」
レフィアは、己の生まれを隠そうとしたことがない。隠す事で何か利が得られるわけでもなく、どのみち調べればすぐにわかることだからだ。
「あぁ。それは、知ってるけど」
気まずそうに視線を泳がせて、男は右の小指で己の右頬をかいた。
「ねぇ、名前、なんて言うの?」
唐突に、レフィアが問う。青年は驚いたように眼を見開いて、まじまじと彼女を見つめ直した。
「なぁに?」
「いや、別に。ちょっと驚いただけだ。名前な……ハインだよ」
「ハイン?」
「あぁ」
レフィアは微かに口許を緩めて微笑んだ。それが、人の好意を得るために非常に有効な手段であることを彼女は知らない。
青年--ハインは微苦笑を浮かべ、レフィアをみつめた。
「いい名前ね。わたし、好きだなぁ」
微笑みながら、彼女が言う。容貌の整った少女の、冷徹な印象が和らぎ、まるで華が咲いたように柔らかくなる。
「レフィアだって、いい名前だろう?」
ハインがぽつりと呟いた。
「幻の花の名だ」
「知って、るの?」
水色の淡い瞳を可能な限り大きく見開いて、彼女は声を震わせる。
「ああ。虹色の花、だよな。辺りが一面雪で覆われた、寒い日の夜……満月の下にしか咲かない、虹色の花」
「わ、何か凄く意外! そうなんだよ。見た人が少ないから、しかもすっごく寒い時にしか咲かなくて、アルフィラはわりとあったかいから。幻って言われるんだよね。見た人だって、寒さにやられたんじゃないかとか、言われるもんね。でも、とっても綺麗な花だって聞いた事があるの」
表情豊かに、そう語る。ハインもまた意外そうに彼女を眺めた。そうすると、彼女はひどく幼い印象になるのだ。
「あんたも、綺麗だけれどな」
何でもない事のように言われ、その言葉の意味を理解するまでに多少の時間が必要だった。理解して、レフィアは薄く頬を朱に染める。
「ありがと。でも、あんまり綺麗って言われるの好きじゃないの。わたしが、この容姿なのは、わたしのおかげじゃなくって、死んだ母さん達のおかげなんだから」
魔族だった両親。
二人共、平均的に美しいと言われている魔族の中でも、上位に入るであろう美貌だった。けれども、二人に与えられたものは、その容姿のみで。
その他には、突出したものを何も持っていなかった。魔力すら。
故に、彼らは殺されたのだ。
「なぁ」
ハインは小さく微笑みながら、少女の頬に指先を触れる。
「あんたさ、俺の女になれよ」
「はぁ?」
一瞬、凍り付いて。それから、耳までも真っ赤に染めて、レフィアはその瞳を更に見開いた。
「な、何いってんのっ? だいたい、あんた、わたしを攫って来たんでしょう? 冗談も休み休みいいなさいよ!」
「ああ、だから、さっきも言ったろ? 俺達はまだ正式に依頼を受けたわけじゃないからな。確かめたい事がいくつかあるんだ。それを確かめてから、依頼を受けるか蹴るか決めるのさ。だから、俺の女になれよ」
「話が良くわからないよ……」
レフィアは呆れたように眉をしかめる。それから、ふと表情を暗くして小さな声で呟いた。
「わたしを、殺してくれるなら……いいよ」
「はん? 意味ねぇじゃん、それ」
唐突な答えに面食らって、彼は右眼だけを眇めてみせる。
「でしょ? だから、無理!」
くすくす笑いながらレフィアは、からかうように瞳を細め彼を見上げた。
「おかしな奴だなァ、あんた」
「そぅ? そうかも。たまに言われるわ」
軽く言い切って、彼女は足を伸ばす。
「ねぇ、降りるからどいて?」
そして、寝台の前に立っているハインにそう声をかけて、素早く床に足をついた。
「おまえさ……」
レフィアは大きく伸びをしながら、「ん?」と言うように首を傾げる。
「魔族の両親から産まれた人間の子供って噂、本当なのか?」
その問いが、少女の耳に届いた瞬間。彼女の表情が、にわかに硬くなった。
凍てつくように冷たい瞳で、ハインをみつめる。何気なく聞いてみたつもりのハインのほうは、その過剰な反応に驚きを禁じ得ない様子だった。
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彼女が放り込まれたこの部屋には、窓がない。したがって、暇つぶしに遠くを眺める事も出来ない。弱々しいランプに照らされて浮かび上がる陰気な部屋の様子など、眺めていても憂鬱になるだけだ。
「せめて本でもあったらな」
未だ、己の立場に対する自覚が乏しい彼女は、呑気にそう呟いた。
ここにきて、どのくらいの時間が経過したのだろう。そう思いながらあくびをかみ殺す。
その時、軽く扉がノックされた。勿論、それは形式的なものに過ぎず、返事をする前に扉は開け放たれている。レフィアは眉間にシワを寄せて、部屋に入ってきた青年を睨み付けた。
「もし、わたしが着替え中だったら、どうするのよ」
「んー。そうだな、心の中でこりゃいいやって思いながら口ではわりぃって謝るかな」
冗談とも本気ともつかない口調で、青年はそう答える。
「最っ低」
声を低くして吐き捨てると、彼は悪びれずに笑みを浮かべた。
「あんた、何か、巫女っぽくないなぁ」
「仕方ないでしょ? わたしは五年前まで貧民街の更に路地裏で生活していたんだから。他の子達みたいに、楚々となんかしていられない。儀式の時とかは、そりゃ、必死で繕うけどね」
レフィアは、己の生まれを隠そうとしたことがない。隠す事で何か利が得られるわけでもなく、どのみち調べればすぐにわかることだからだ。
「あぁ。それは、知ってるけど」
気まずそうに視線を泳がせて、男は右の小指で己の右頬をかいた。
「ねぇ、名前、なんて言うの?」
唐突に、レフィアが問う。青年は驚いたように眼を見開いて、まじまじと彼女を見つめ直した。
「なぁに?」
「いや、別に。ちょっと驚いただけだ。名前な……ハインだよ」
「ハイン?」
「あぁ」
レフィアは微かに口許を緩めて微笑んだ。それが、人の好意を得るために非常に有効な手段であることを彼女は知らない。
青年--ハインは微苦笑を浮かべ、レフィアをみつめた。
「いい名前ね。わたし、好きだなぁ」
微笑みながら、彼女が言う。容貌の整った少女の、冷徹な印象が和らぎ、まるで華が咲いたように柔らかくなる。
「レフィアだって、いい名前だろう?」
ハインがぽつりと呟いた。
「幻の花の名だ」
「知って、るの?」
水色の淡い瞳を可能な限り大きく見開いて、彼女は声を震わせる。
「ああ。虹色の花、だよな。辺りが一面雪で覆われた、寒い日の夜……満月の下にしか咲かない、虹色の花」
「わ、何か凄く意外! そうなんだよ。見た人が少ないから、しかもすっごく寒い時にしか咲かなくて、アルフィラはわりとあったかいから。幻って言われるんだよね。見た人だって、寒さにやられたんじゃないかとか、言われるもんね。でも、とっても綺麗な花だって聞いた事があるの」
表情豊かに、そう語る。ハインもまた意外そうに彼女を眺めた。そうすると、彼女はひどく幼い印象になるのだ。
「あんたも、綺麗だけれどな」
何でもない事のように言われ、その言葉の意味を理解するまでに多少の時間が必要だった。理解して、レフィアは薄く頬を朱に染める。
「ありがと。でも、あんまり綺麗って言われるの好きじゃないの。わたしが、この容姿なのは、わたしのおかげじゃなくって、死んだ母さん達のおかげなんだから」
魔族だった両親。
二人共、平均的に美しいと言われている魔族の中でも、上位に入るであろう美貌だった。けれども、二人に与えられたものは、その容姿のみで。
その他には、突出したものを何も持っていなかった。魔力すら。
故に、彼らは殺されたのだ。
「なぁ」
ハインは小さく微笑みながら、少女の頬に指先を触れる。
「あんたさ、俺の女になれよ」
「はぁ?」
一瞬、凍り付いて。それから、耳までも真っ赤に染めて、レフィアはその瞳を更に見開いた。
「な、何いってんのっ? だいたい、あんた、わたしを攫って来たんでしょう? 冗談も休み休みいいなさいよ!」
「ああ、だから、さっきも言ったろ? 俺達はまだ正式に依頼を受けたわけじゃないからな。確かめたい事がいくつかあるんだ。それを確かめてから、依頼を受けるか蹴るか決めるのさ。だから、俺の女になれよ」
「話が良くわからないよ……」
レフィアは呆れたように眉をしかめる。それから、ふと表情を暗くして小さな声で呟いた。
「わたしを、殺してくれるなら……いいよ」
「はん? 意味ねぇじゃん、それ」
唐突な答えに面食らって、彼は右眼だけを眇めてみせる。
「でしょ? だから、無理!」
くすくす笑いながらレフィアは、からかうように瞳を細め彼を見上げた。
「おかしな奴だなァ、あんた」
「そぅ? そうかも。たまに言われるわ」
軽く言い切って、彼女は足を伸ばす。
「ねぇ、降りるからどいて?」
そして、寝台の前に立っているハインにそう声をかけて、素早く床に足をついた。
「おまえさ……」
レフィアは大きく伸びをしながら、「ん?」と言うように首を傾げる。
「魔族の両親から産まれた人間の子供って噂、本当なのか?」
その問いが、少女の耳に届いた瞬間。彼女の表情が、にわかに硬くなった。
凍てつくように冷たい瞳で、ハインをみつめる。何気なく聞いてみたつもりのハインのほうは、その過剰な反応に驚きを禁じ得ない様子だった。
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