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白き羽根 ~Dripping of Tears~ -5- [短編]

 ライカが彼の後を追うために、困ることや迷うことは全くなかった。優しい銀の光が、彼の行った道筋を帯のように示していたからだ。
 光の帯は、森の奥へ続いていた。初めて彼の姿を見た、あの場所へ。何故、これほどに不安なのだろうと、ライカは思った。
 寝付けずに、散歩に出かけただけかもしれないのに。
 朝になったら、いつもと変わらず二人で朝食をとっているかもしれないのに。
「いかなきゃ」
 何故だろう。とても、気が急く。
 今、彼に追いついて。
 今、彼を見なければ。
 そうしなけらば、ならないように、気が急いた。
 それは、二年前にあの光を目にした時と同じように。理屈などなく「そこにいかなければ」とただ思う。
「ルーファっ!」
 何故だか溢れ出した涙を拭い、ライカは彼の名を叫んだ。


「来て、しまったんだね」
 彼女の姿をみとめた瞬間、彼はそう苦く笑った。銀色の光を全身に纏った彼は、ライカの藍色の瞳から驚きの色を感じ取り嘆息する。
「ぼくが、こわい?」
 そして、諦めにも似たような口調でそう訊いた。
「…………」
 ライカは答えることも出来ずに、彼をじっと見つめている。
「怖いか……それは、そうだよね」
 彼は自嘲的に唇を歪め、小さな声で吐き捨てるように呟いた。
「ち、違うよっ! 違う! そんなんじゃないっ!」
 酷く悲しそうなルーファに、彼女は慌ててしがみつく。
 怖くなんかない。ただ、あまりにあなたが綺麗だっただけで。そう、伝えたくて必死に彼の袖に縋る。
「いいんだ。仕方ないと思うよ、ライカ。ぼくの姿は、確かに……」
 小さく笑いながら、ルーファはちらりと自分の背後をうかがうような素振りを見せた。彼の背には、純白の水鳥の翼が揺れている。彼の背から突き出たそれが、魔術の賜物などではないことくらい彼女にも理解できる。
「違うのよ、ルーファ! ただ、本当に綺麗で……ルーファは綺麗で……」
 だから、こわくなんかないの。そう言って、ライカは己の額をルーファの胸に押し付けた。
「ぼくが何なのか、きかないの?」
 ルーファは、苦笑と共にそう言葉を吐き出す。
「聞いても、何も変わらないでしょう? 聞いたら、いいことがあるとかじゃないんでしょう? だったら、何も聞かないもん。ルーファが、傍にいてくれたら、それでいいんだもの!」
 悲鳴のように激しい口調で叫ぶライカの背中を、そっと彼が撫ぜた。
「ごめん」
 そして、そう、呟いた。
「ごめんって、何?」
 顔を上げないままに、彼女はそう訊ねる。彼の背にまわした手の力が、殊更に強くなっていた。
「ぼくは、帰らなくてはならないんだ」
「帰るって、どこへ?」
「おちついて、きいて? ライカ」
 ライカは黙して、ただ彼にしがみついた。
 聞きたくない。離したくない。離れたくない。そんな心が伝わってくるようで、ルーファは一度きつく唇をかみしめる。
「ぼくは、天界の住人なんだ。きみ達がいうところの、天使というやつかもしれない。……ぼくは天界で、罪を犯したんだ。それで、神の許しが得られるまで、地界で生活することを義務付けられた。いつ、赦されるとも知れなかった--けれど、先程、通達があったんだよ」
「そらに、かえるの?」
「あぁ」
「わたし、おいていっちゃうの?」
「わかって欲しい、人間である君を、連れて行くことはできないんだ」
「ひとりに、しないでよぉ」
 泣き崩れるライカの手をとり、ルーファは哀しそうに眉をしかめた。
「ライカ……」
 そして、己の銀髪を一房抜き取り、何事かを囁く。ライカの涙が彼の指先から発する光に包まれ、手の平におさまる程の丸い珠になった。
「きみのことが、好きだよ」
 透き通った、水晶のようにも見える丸い珠の中に吸い込まれるように、彼の髪が閉じこめられる。
「これは、ぼくの永遠の心だから」
 そういって、ルーファは彼女に透き通る珠を握らせた。
「ぼくは、ずっときみを想っているから。本当は、きみに想いを打ち明けるべきできではなかったのだけれど。でも、ぼくはどうしても自分の気持ちを抑えられなくて……。こんな結果になってしまって……本当に、ごめん」
「独りにするなら、最初から期待なんてさせないでよ!」
 ルーファを責めるライカの声は、もはや声と言えない程に掠れており、あまりにも切ない。ルーファは唇を噛みしめて、俯いた。
「ごめん」
 しばらく、二人は互いを抱きあったまま動かない。
 やがて、ライカが涙を拭い、無理やりその顔に笑みを浮かべた。
「ごめん。ルーファを責めるつもりなんてなかった。あやまらないでいい。わたし、ルーファに会えて、嬉しかった。母がなくなってから、一人で凄く淋しかったの。でもね。でもね、ルーファが来てくれてから……楽しかった。いっぱい、楽しいことあったし、傍にいてくれるだけで嬉しかったし。だから、あやまらないで。ありがとう、ルーファ」
「ライカ……」
「わたしも、あなたが、好きだよ」
 自ら、そっと彼の胸を突き放して、ライカは小さく微笑む。
「ぼくは、ここを去る前に皆の記憶を消さなくてはならないんだ。でもライカ、きみに忘れられたくない。これは、ぼくの傲慢な願いだ。周りの全てが、ぼくのことを忘れてしまう。そんな中で、きみ一人、ぼくのことを覚えている。……そんな状態に、きみは耐えられるだろうか」
 不安げに揺れる翼ある青年の澄んだ瞳……。ライカは彼の不安を和らげようと、精一杯、強く微笑んで見せた。
「大丈夫。そんなこと、聞くなんて馬鹿にしてるわ。だいたいね、ルーファ。わたしの記憶を消したりしたら、許さないんだからね!」
 睨み付けるその眼差しに、涙が光る。
 ルーファは小さく身を屈め、その涙に口付けて弱く笑った。
「ありがとう、ライカ」



 その後のことは、良く覚えていない。
 光に包まれたルーファ。
 空から降りそそぐ、光。
 その中で消えてゆく愛しい人の影。
 手の中に、ただ一つ残された硬質の重み。
 自分でも、わけのわからぬまま、叫んだ。言葉にならぬ声を。

 気がつくと、朝で。ライカは、自分の家の居間にいた。
 眠っていたわけではないのだろうが、ふと目が覚めたような感覚だった。
 そして、昨日のことを思う。
「夢だったのかな」
 ポツリと呟いた、彼女の手の中には銀色の針のような物質が無数に封じ込められている、水晶の丸い珠があった。
「夢なんかじゃ」
 呟く彼女の瞳に、涙が滲んだ。

「ルーファ」

 愛しい人の名を呼ぶ切ない囁きは、誰にも拾われることのないままに消えてゆく。



 --どこにいても、ぼくは、きみを見つめているから。
 永遠に続く想いなんて、ないと言うかもしれない。
 それでも。ずっと想っていると、ぼくは言える。
 だから、忘れないで。
 世界でただひとり。きみの中にだけ、ぼくの記憶を残して行くから。
 決して、忘れはしないで。


 残された水晶が、ひとり。そう、語り続ける--。


Fin



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